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第11章 旧跡名勝(2)

阿育王寺には貴重な文化財がたくさん保存されている。なかに浙江省ではこれしかない元代の仏塔が二基保存されている。上塔と下塔はレンガと木で築き上げられ、楼閣式をまね、六角七階建てである。毎階の中腰に檐をつけ、一階のまわりは廊下で囲む。なかに唐範が書いた「唐阿育王寺の常住田碑」、宋?蘇軾が書いた「宸奎閣碑」、宋?張九成の「妙喜泉銘」および賜われた竜蔵経7247 巻が保存されている。宋高宗、宋孝宗、乾隆帝の御本「仏頂光明之塔」、「妙勝之殿」、「覚行倶圓」の額は依然として舎利殿で揚げてある。阿育王寺に唐、宋、明、清、民国また現代の石碑が58枚ある。そのなか、「阿育王寺の常住田碑」、「宸奎閣碑」、「妙喜泉銘」は最も貴重であると思われる。

寺内の万工池、舎利殿、経楼、上塔、下塔、天王殿、仏殿などはとても有名なところである。

保国寺

千年名刹保国寺は寧波市江北区の費市霊山に位置し、市街地から13 キロメートル離れる。わが国長江の南で最も古く、最も完備に保存された木造建築である。中国建築史を研究する上に重要な価値があるため、国家の第一陣の重要文化保護財と選定された。

保国寺の歴史が悠久で、聞くところによると、かつて霊山は漢光武帝のときの中書郎張斉芳が隱遁する場所、後で山の上で寺を建て、「霊山寺」と命名した。唐会昌五年(紀元845年)、寺が壊された。唐広明元年(880年)に再建されるとき、僖宗李儇は「保国寺」と名づけた。

寺の面積は1.3万平方キロメートル、建築面積は0.6万平方キロある。正門から中央線に天王殿、仏殿、観音殿、経楼があり、両側に鐘楼、鼓楼など付属建築がある。特に仏殿は保国寺の建築の美を完璧に表現されている。正殿の重要な特徴は奥行きが正門の長さより深い。これは同時代の仏殿建築にめったに見えない様式である。正殿を支える木は全部ほぞの技術でつなぎ合わせられ、釘一枚も使わなかったが、建築物のそれぞれの部材をしっかり結びつけ、仏殿の50トンあまりの天井板を支えている。本殿の天井には藻井が三つ設けてある。それは全体の構造と巧みにバランスを取っている。天井の板で梁を遮って、下方から見ればほとんど見えないから、「梁のない殿」と言われる。現在まで「鳥が入らなく、虫が食わなく、クモが巣を張らなく、ほこりが梁に立たない」という奇観が残っている。

主要な名所は仏殿、観音殿、経楼、多蛟亭、竜泉穴、仙人橋などがある。

它山堰

唐代の水利工事它山堰が鄞州鎮西にある它山のそばに位置し、寧波から 30キロメートル離れる。它山堰が唐太和七年(紀元880年)に建てられ、現在まで1160年あまりの歴史を持つ。洪水の衝撃をしばしば経験したが、依然としてほぼ完備に海水を阻み、淡水を蓄え、また引水排水のような役割を果たしている。它山堰は鄭国渠、霊渠、都江堰と「中国古代四大の水利工事」とされ、1988年1月国務院に全国の重要文化保護財と認定された。

它山堰の工事が広大で、合理的に築かれた。樟渓をわたって南山と它山の谷間でそびえたち、全長は134.4メートル、幅は4.8メートル、高さは3.05メートル、堰体の長さは2~3メートル、幅0.2~0.3メートルの石で築き、左右にはそれぞれ36階段がつけてある。它山堰が建てられる前、潮は甬江に沿って樟渓まで逆流したため、その海水が植物の成長にも、人間の健康にも悪い。它山堰を建ててから、下流の海水を阻み、上流の淡水を蓄え、住民の生活に役に立った。它山堰を通ってから、川の水が二つに分かれ、一本は月湖に入り、ほかのは鄞江と奉化江に入リ、田畑へ水を引き、水害から水利に変わった。

後世の人は徹底的に治水できた巨大な功績を記念するため、五代末に堰のそばの它山頂に它山廟を建てた。廟の後殿は正殿のすぐそばによって、二階の建物で一階ごとに部屋が五軒ある。現在は「它山堰水利展覧館」として利用され、它山堰の発展過程、地位、役割および鄞州にあるほかの水利施設を説明した。全館の面積は200平方メートルで、「明州の水利工事」、「昔の它山堰」、「治水する賢人」、「水利の現状」の四つの部分に分かれて展示している。これは浙江省初の水利博物館である。

東銭湖

東銭湖は国家3A級の観光景勝地で、寧波市の東南に位置し、市街地から15キロメートル離れる。観光地の計画面積は234平方キロメートルで、観光地区はきれいな景色と濃厚な文化雰囲気を完璧に結びつけることで世間に知れ渡っている。見物、レジャー、娯楽などをこめる総合的な観光地である。

東銭湖は浙江省で最大の淡水湖である。銭埭から水を集めるゆえ、「東銭湖」と呼ばれる。全湖は谷子湖、南湖、北湖から構成し、東西の幅は 6.5 キロメートル、南北の長さは8.5キロメートル、湖の周囲の長さは45キロメートルに達する。面積は20平方キロ、すなわち杭州西湖の四倍、そして「中国沿海第一湖」ともいえる。東銭湖は上古時代に自然に形成した湖で、歴代の浚渫を経てから、もっと魅力的になった。唐天宝年間(紀元744年)鄮県の長官陸南金が土手を築いた後、王安石、李夷庚、呂献之など歴代の地方官が相次いで施設を加え、総合利用のできる完備な水域になった。

東銭湖の石刻群は国家の重要文化財で、現在まで800年余りの歴史を持っている。芸術価値があり、造型が本物そっくりの各代の人物像、動物の石刻などをそろった。豊かで完璧な文物は南宋時代の石刻芸術並びに創造力を現し、南宋時代わが国の彫刻史、美術史の空白を埋めた。歴史、学術、芸術関係に重要な価値を持っている。

福泉山観光区は東銭湖の東南に位置し、面積は16000畝である。主要な特色は連峰、茶畑、林木および山間天気の転換である。観光テーマは高所遠眺、登山、茶摘み所、レジャーなどある。区内には、古刹の大慈寺と全国重要文化財としての南宋宰相史弥遠の墓がある。

島の観光地としては堤防と小普陀がある。堤防は東銭湖を南湖と北湖の二つに分けた。小普陀が霞嶼とも言い、南宋時期に建てられた霞嶼禅寺、補陀穴、湖亭などは800年余りの歴史を持っている。

外に主な名所は陶公園、芦汀観光区、二霊夕照、王安石記念館(つまり忠応廟)などある。

上林湖越窯遺跡

上林湖越窯遺跡は全国重要文化財である。慈渓市橋頭鎮と匡堰鎮の間の上林湖観光地区に位置し、寧波市街区から60キロメートル離れ、慈渓市街区から15キロメートル離れる。風光明媚な上林湖に120ヵ所の磁窯遺跡が散らばって、「露天青磁博物館」、「文化的な欠片」と呼ばれる。ここは中国の青磁器文化の発祥地、東漢時代から南宋時代にかけての千年以上の歴史を持っている。そのなかに、寺竜口遺跡は1998年中国十大考古発見の一つであると見なされる。

中国の磁器は東周時代に現れ、当時「原始青磁」と呼ばれた。後漢になって、ようやく青磁器に発展した。この重要な変化は上林湖越窯遺跡で実現した。上林湖付近で発見された後漢時代の磁窯遺跡とその欠片は、青磁器の発展史を人々に展示している。そこで、鐘、甕、鍋、皿、碗など常用器物がよく見られる。

三国時代から南北朝時代まで製品種類が目立って増え、製作技術が進歩した。常用器物は壷、甕、碗、皿、鉢、樽、杯、硯など多種多様ある。弦の紋様、斜格子紋様、連玉紋様のほか、褐色の点紋様も流行した。南朝は仏教が大流行したゆえ、蓮の花弁紋様は最も人気があった。

上林湖磁窯は唐の中期に急速に発展した。唐代末期から北宋初期にかけて抜きん出る磁器職人が何人か現れ、二世紀の間、磁器の技術が全中国の先頭に立っていた。そこの青磁器は多く輸出され、東アジア、東南アジア、南アジア、西アジア、アフリカの東海岸の20あまりの場所で大量な青磁器を発見されて、各国の博物館で展示されている。北宋中期から衰え始め、北宋末期に至っては廃止された。現在、竜窯や作業場、青磁欠片などは上林湖の近所に処々に発見できる。

今のところ、上林湖磁窯を中心として上林湖観光地を開発した。これは青磁文化を特色にし、磁窯遺跡、栲栳山、五磊山で構成する観光地である。上林湖の景色がずば抜けて美しく、栲栳山に壮観な滝、石刻、古橋、奇石があり、五磊山には美しい岩が積み重なって、神秘な雰囲気に包まれる。

河姆渡遺跡

河姆渡遺跡は余姚市河姆渡鎮浪墅橋村に位置し、わが国東南部沿海で最も悠久な新石器時代の遺跡で、すでに7000年間も存在した。この遺跡は1973年に発見された後、1973年11月、1977年10月に2回発掘された。1982年2月に全国重要文化保護財と認定された。1993年5月、河姆渡遺跡博物館が正式に落成した。当時の中国共産党中央総書記、国家主席江沢民氏が博物館の館名を親書した。

河姆渡遺跡は博物館、遺跡の発掘現場、原始集落展示所、原始生態区で構成した。総面積が約4万平方メートル、四つの地質文化層が重ね、およそ紀元前5000年から前3500年のものだと思われる。6700点近くの出土文物が、農業、牧畜、建築、紡織などと中華文明の起源を研究するために貴重な実物資料を提供した。遺跡の四層目の地質文化層に発見される籾、籾殻、稲茎などはこの周辺が中国で最古の水稲の人工育成の産地であると証明する。そして中国の水稲栽培歴史はインドと日本より早いとも証明できるようになる。発掘された高床式建築遺跡は、中国南方の木製建築の源である。その中に使われたほぞ術は以前知ったよりもっと2000年前からあったと知られている。考古学者に「七千年前の奇蹟」と称される。遺跡には、骨を主として、石、木、陶で作り出した各種の生産道具が何千点も出土された。骨製、木製道具の中に、中国新石器磁器の遺跡ではじめて発見されたものが数多い。遺跡には木製オールが8本出土され、知られている限りでは世界で最古の水上交通道具である。

河姆渡遺跡博物館の面積は4ヘクタールで、文物展覧館と発掘現場展示所の二つに分かれている。文物展覧館は遺跡の西にあり、面積が16000平方メートル、主体建築の面積は3200平方メートル、6棟の建物から構成した。棟と棟は廊下で連結されている。博物館に基本展示室が三つ、臨時展示室が一つ設け、文物は400数件陳列されている。第一展示室は前置間、序文、写真、図表、模型、文物などで河姆渡文化の基本状況が大まかに紹介されている。第二展示室は「稲作経済」で、稲作農業と漁業、狩猟活動を展示している。第三展示室は当時の原住民の日常生活と原始芸術を説明している。また、建築史上の奇蹟と呼ばれる高床式建築の木部材と修繕道具も陳列されている。

鎮海口沿岸防衛遺跡

鎮海口沿岸防衛遺跡は鎮海市街区の東北に位置し、東海にも甬江にも瀕し、地形が険しく、かつて中国東南沿海で日本、イギリス、フランスの軍隊を抵抗する主要な戦場であった。1996年11月、鎮海口遺跡が国務院に全国重要文化財と認定された。

鎮海口沿岸防衛遺跡は歴史が長く、遺跡先が集中、タイプが多種、原状のままに維持されている。遺跡は甬江の両岸にも分布し、なかに梓萌山、巾子山、招宝山、金鶏山を中心として観光地を形成している。軍事指揮所、望遠台、堡塁、とりで、砲台、塹壕、警鋪など戦争施設が残っている。現在、招宝山麓の南で鎮海口沿岸防衛記念館が建てられた。全館の造型が簡潔で莊重な歴史観が感じられる。記念館は1997年に築き上げ、面積が3200平方メートルである。元国家主席江沢民氏が館名を親書。保存している文物や写真は寧波市民が日本、イギリス、フランス軍隊を抵抗する実績を詳しく表している。全館は前置きホール、抗倭展示ホール、抗英展示ホール、抗仏展示ホール、抗日展示ホール、最終ホールに分かれる。

主要な観光名所は威遠城、明清碑群、月城、安遠砲台、中仏戦争鎮海口役記念碑などある。

梁祝文化公園

梁祝文化公園は寧波市鄞州区高橋鎮に位置し、晋朝梁祝の墓場と廟古遺跡の所在地である。公園は梁山伯と祝英台の著名な愛情伝説に基づき、梁山伯廟を主体として建てられる。中国で愛情をテーマとする唯一の公園である。

今のところ、中国各地で梁祝遺跡が十ヵ所余りも達し、中に塾が三ヵ所、墓地が七基発見されている。鄞州の梁聖君廟は国内で最も完備に保存されるところだと思われている。梁聖君廟は紀元397年に建てられ、今まで1600年の歳月に何度かの修繕を経験した。2002年4月30日、梁祝文化古跡に関するシンポジウムを開き、寧波鄞州区が梁祝文化の発祥地であるとさらに確かめた。

公園の面積は20ヘクタールで、梁山伯廟を中心として、梁祝の愛情伝説を表す。ほかに、観音堂、夫婦橋、恩愛亭、蓮池、九竜潭、竜嘘亭、百齢道、梁祝彫塑、大規模噴水広場、万松塾、梁聖君廟などがある。ひさしの四隅がそりあがった梁聖君廟、気宇壮大で精巧な旧舞台で、すばらしい伝統劇が時々公演され、心が千々に乱される愛情伝説はよく人をうっとりさせる。曲がりくねった廊下に、梁祝文化碑が何本か立ち並んでいる。全国の名高い書道大家の貴重な作品が処々で見られる。そこのすぐそばに亭台楼閣の多い講学塾がある。各様な江南古建築の模造は山水にとり囲まれ、園中園にできた。工夫を凝らし、趣のある景色が観光客を礼拝に引き寄せる。春秋の行事になったら、特に人々がにぎやかに集まり、空前の盛況になる。

2000 年1月1日、梁祝文化公園で第一回中国梁祝婚俗行事が開催され、30万あまりの人が参加した。中に199組の新郎新婦が梁祝愛情伝説の発祥地で結婚した。その後各回の中国梁祝婚俗行事がすべて梁祝文化公園で行われ、恋人同士にとって最も理想的な旅先だと思われる。梁祝が国家無形文化財に登録された。

前童古鎮

前童、古代の雰囲気があり、生き生きとした町である。明清時代に江南の人々の生活様式をありのままに展示し、江南において特色のある古い町である。古鎮は寧波市寧海県に位置し、県の中心から僅か10キロメートルぐらいの距離で、交通が非常に便利である。この村には、2000戸の家族が住んでいて、「童」を苗字とする人の数は 80%を占めている。しかも、村が白溪の前にある。それ故、村の名は「前童」になった。760年前から、苗字が「童」である人々はずっとここに住んできた。多くの古い屋敷は完璧といえるほど保存され、明、清時代の様子を展示している。いまは省レベルの歴史文化保護地域になった。

前童古鎮は宋代の末に建設され、清代に益々栄え、いまだに1300軒の古い住宅が保存されている。浙東民俗文化を鑑賞するなら、ここは行くべきところである。現在、保存された民間建築は、主に明代の洪武十八年(1385年)に有名な儒学家である方孝孺が建てた祠、清代の同治年間(1864~1874年)に建てられた照経宅及び丈夫第、好義堂、上堂屋、鎮寧庵、鎮龍廟、致思湾など辛亥革命のとき浙江臨時軍事長官に任する童保喧(1886~1916年)の旧居である。

「石鏡精舎」が明代初期に童伯礼に建てられ、600年あまりの歴史を持っている。方孝儒は四年間にわたって二回ここで講義をし、童伯礼とともに儒郷の基礎を築いた。職思其の旧居は清代の嘉慶年間に建てられ、清代挙人である童桂林の三男の童汝寛の住宅で、典型的な台州四合院の特徴を有している。庭園は木造の四合院で、園内にある部屋は老幼尊卑に基づいて分けているが、和やかで楽しい雰囲気が感じられる。童氏大祠堂は明代初期の洪武18年に建てられ、敷地面積が1.2畝で、方孝儒によって設計されたと言われている。配置が南北の走向で、相次いで正門、劇場、天井、東西部屋及び応接室、閉鎖的な四合院である。その中、角楼は明代皇城の特徴を学んで作られ、いまでもよく保存されている。五福門は前童古鎮において一番代表的な古い住宅で、地元の人に「五福門」と呼ばれている。清代の嘉慶年間に建てられ、壁、門、窓、、斗という四つの様式で有名である。

前童古鎮には、江南の古い建物が完全に保存されているだけでなく、美しい山色もたくさんある。遥かな鹿山の山頂からは前童古鎮のすべての景色が見える。鹿山の北部に位置する梁皇山は景色が美しく、古跡が多い。「仙人塔」、「隠字石」、「方竹と紫竹の林」、「小村36姓」という四つの名所がある。また、「徐霞客遊記」に記載した最初に泊まった宿もあり、梁皇山は古来「浙東の名山」とされている。

前童は一つの生きている民俗博物館である。ここに生活している前童の住民たちは依然として数百年前の江南の美しい笛声を演奏している。

南溪温泉

寧海の南溪温泉は中国で三大の著名な温泉の一つである。寧海県城西北天明山の奥深い谷にあり、寧波市の中心まで76キロある。その温泉は著名な天台山と四明山に囲まれ、年を通し、山が青く、水が澄み、草木が穏やかに生長し、谷の水が休まず静かに流している。華東地域において珍しい旅行、避暑、療養、休暇ができるところである。1964 年、郭沫若がここに来て、喜んで「天明山南溪温泉」という額を書いた。

寧海温泉は四つの観光地に分かれ、臥龍谷観光地を中心に、仙人谷観光地が西北にあり、千丈岩観光地が西南にあり、錦綉谷観光地が東南にあり、延べ6.42平方キロある。四つの観光地の中には、三つの淵、九つの滝、十八の溪、七十二の峰がある。

メインの観光地である臥龍谷は温泉の湯で、その中に温泉山荘をもとに建てられた寧海温泉ホテルがある。測定によると、この辺に熱水の量が多く、水温が年を通して変わらず49.5度ぐらいに保っている。しかも、水質が普通の硫黄温泉と違って、あくまでも澄んでいて、ラドン、リチウム、ストロンチウム、フッ素、カリウム、カルシウムなど、20種を超える元素を含んでいる。入浴したら、皮膚が滑らかになり、気持ちよくなる。それに、心臓血管、神経システム、内分泌、リューマチ性関節炎及び皮膚病に役立つ。夏、ここは杭州、寧波より気温が 3.5°低く、華東地域において珍しい観光、避暑、療養、休暇ができるところである。

臥龍谷の外、三つの観光地は主として景色の綺麗さで有名である。仙人谷では主な名所は普済橋、仙人踪跡、剣門など、錦綉谷の主な名所は頣寿亭、映天池、銀蛇瀑、青龍潭など、千丈岩には駱駝峰、千歩階、鷹窠谷、鳴鳳潭などの名所がある。計6.42平方キロで、四つの観光地の中には、三つの淵、九つの滝、十八の溪、七十二の峰がある。

天河観光地

天河生態観光地は天台華頂山の北の麓に源を発し、天台山脈の中腹にある。

天河生態観光地は景色が優美で、昔からずっと大勢の文人墨客が観光に来た。徐霞客はここから出発し、梁皇に泊まり、天台に着き、そこから世界的に有名な旅行を始めたという。

天河観光地の面積は260平方キロに達し、百ヵ所近くの名所からなっている。いままで開発された三つの名所は大松渓峡谷、雙峰森林公園、水上遊覧区である。

大松渓峡谷は奥深く奇石が林立し急な流れは起伏に富んでいるので、浙江省東部一の峡谷と称される。

20キロの長さを持つ峡谷は曲がりくねり、垂直の落差が900メートルにも達する。峡谷の底に珍しい形の石が多く溜まっている。最大の玉石は100立方メートルもあり、1000 キログラムあまりの重さである。その中、観光客をうっとりさせるところは黄板灘、翡翠潭、七色潭、月亮谷である。

1万畝を越える天然の常緑広葉樹林を持つ雙峰森林公園内には、林木が茂り、空気が美しく、その中に身を置いてみれば、すぐに爽やかになり、今までの疲労も消えてしまう。

松蘭山

省クラスである松蘭山海水浴場は象山県城東南の9キロのところに位置し、海を挟んで普陀山、桃花島と向き合う。総面積25平方キロ、ゴールデンウィークに全国的に宣伝される名所、全国的4 Aレベルの観光地、華東地域での一番総合的な海水浴場の一つである。

松蘭山は東西走向の天台山の近くの海に面した場所にあり、大自然の恵みで曲折の港湾、きれいな暗礁と幾つかの岬、ビーチができた。また、海蝕地形が沿岸の暗礁を林立させ、千姿万態、波が勢いよく押し寄せる。地域内では、風景が美しく、海洋文化が豊かで、休暇の施設が十分に整っている。山と海の間にある12キロの長さの観光道路によって曲がりくねりいつまでも続く海のアウトラインの線が描かれた。松蘭山に五つか六つのビーチもある。幅広い千メートルのビーチもあり、何十メートルかの小さいビーチもある。砂地がかたかったり、やわらかかったりしている。主として、東ビーチ、南ビーチ、十二支ビーチと太極湾ビーチがある。海辺で茂る生態植物のおかげで、爽やかで長閑な休暇環境ができた。また、青少年にとっては、さまざまな海洋生物の標本がを集め、多くの珍しい動物が飼われている百鳥楽園は理想的な科学教育基地である。

松蘭山には長閑な湾と岬、美しい日差しとビーチ、独特の海食地形、おだやかな山海風景があるだけでなく、6000 年前の塔山文化遺跡、宋の時代に建てられた弥陀古寺もある。それ故、観光地は自然と人文風景が融合し、独特の魅力を持っている。海辺の入り口にある倭寇に抵抗した古城遊仙寨遺跡は明代の兵士のとりでで、明正統年間(1436~1449 年)に建てられ、今は省レベルの文物保護区域になった。とりでの中に家屋の配置がはっきりしている。飲み水用の井戸、溝、半円形の小城郭、練兵場、左右狼煙台がよく保存されている。

現在、松蘭山を休暇センター、海辺会議センター、山海狩のセンター、海鮮美食センターと海上娯楽センターに建設するつもりである。できあがれば、松蘭山は人々が海景を見る、泳ぐ、ビーチを歩く、貝を拾う、蟹をとる、海鮮を味わう理想的なところになるにちがいない。

天下玉苑

天下玉苑は余姚市大隠鎮九龍山の麓に位置し、寧波市の市街区から17キロ、余姚市の市街区から 25 キロの所にある。玉を文化として、山水の魂、玉の彫刻の逸品、文化施設を融合し、遊覧、観光、休暇、ビジネスを一体とする大型文化観光地で、中国で最大の玉文化テーマパークとも言える。2005年、国家レベルの4A級観光地という名誉を得た。

天下玉苑は 3500 畝にわたって、緑化面積 75 万平方メートル、建築面積 3平方メートル、周辺のきれいな山水を背景にし、深い歴史文化を基礎とした苑である。苑内には後世に伝わる玉の彫刻が三つ、国宝レベルの芸術品が八つ、ギネスブックに載ったものが四つ、国家レベルの逸品が40個を超え、すべての玉の数が10000個にも達した。玉の逸品世界とも言える。西隠禅寺、南天壇、玉仏塔、秀湖、玉苑門楼山という五つの名所が山のそばに湖を囲んで建てられた。また、20 ヵ所の大小名所と全国で最大の玉製品のマーケットがある。その建築風格は南北の精華を吸収し、主な風景が山水を背景にし、隠れたり現れたりする。建物が隠れることを主とする建て方を取って、まちまちであるが秩序がある江南建築の東屋、台、楼、閣、軒を配置している。山の向こうにまた山があり、園の外にまた園があり、どこにいても美しい景色を見ることができ、歩いてすぐ景色が変わるという芸術効果も出てきた。

西隠禅寺は玉苑でもっとも主要な建築、世界上に初めて全部玉石で造られた寺院である。寺院内の玉仏像の数、品質、重さいずれも国内外において比べ物がなく、江南一の玉仏寺と称される。その内、大雄宝殿で供養されている釈迦牟尼と東方三聖、西方三聖の玉仏は全部岫岩花玉で彫られたのである。各仏像の重さは21トン、27.7トン、46.6トンある。宝殿前の柱と宝殿間の手すりが漢白玉で造られ、よりよく玉苑の雰囲気が出ている。

主な名所として玉石王、玉仏塔、九龍玉壁、玉製弥勒仏、玉製四天王、玉龍トーテム柱、玉製三聖仏と玉製品の展覧室などがある。

奉化渓口

渓口名所は寧波市の西南方向の20キロのところに位置し、東は武岒に、南は剡渓に近く、北は雪竇山に面し、山水に囲まれ、景色が美しい。陶淵明が書いた「桃花源」は現在の渓口だそうである。近代、ここは蒋介石、蒋経国親子の故郷で脚光を浴び、華東地域の観光コースでは一つの輝いている星である。相次いで、「国家の重点の名所」、第一陳の「国家クラスの4A級観光地」「浙江省ベストテンの美景楽園」などの栄誉を得た。

渓口名所の観光面積は140平方キロで、渓口鎮、雪竇山、亭下湖という三つの観光名所があり、人文景観、自然風景と仏教文化が一体となり、観光地の中には、サービス、娯楽、交通、通信などの施設が全部整っている。現在、国家重点文物保護区域である「蒋氏旧居」という人文景観、浙東で有名な滝~千丈岩滝と徐鳧岩滝、晋代の書道家である王羲之が隠居した九曲剡渓がある。また、「天下禅宗十刹」の一つである雪竇資聖禅寺は弥勒仏のため、千百年にわたって参拝客が絶えず、仏教界で「中国仏教五大名山」の一つだと称される。

武嶺は渓口の障壁である。雄壮な武嶺門を経て眼前の景色が広がっていく。三里長街が谷川に沿って建てられた。街のそばに建物が並んでいる。蒋介石の出身地である「玉泰塩舖旧址」や代々の居住地である「豊鎬房」がここにある。雪竇山は気候が温暖で、山の頂が聳えて滝の水が冷たく、景色が変化に富んでいる。亭下湖は山の中を曲がり、いろいろな形をしている小島がそらぞれに並んでいる。鏡のような湖と青々した山が観光客を魅了し、帰ることを忘れるほどである。湖の源に隠淵、徐鳧岩、葛竹などの景色がそれぞれ異なって絵のように美しい。今、国家レベルの名所~渓口は新しい姿で訪れてきた観光客を迎えている。

普陀山

普陀山は浙江省杭州湾の東方向の 100海里のところに位置し、舟山諸島の一つの小島、面積 12.5 平方キロ、狭い長方形の形をしている。南北にわたって 8.6キロの長さ、東西にわたって3.5キロの広さを持つ。一番高い仏頂山の海抜が283メートルある。

中国四大仏教名山の中で、普陀山は海上にある唯一の仏教聖地である。美しい自然風景と歴史の長い仏教文化が融合し、国内外に名を轟かす「海天仏国」になった。

どこへ行っても仏教の遺跡が見られる普陀山は海辺の都市としての最大の特色であるビーチと海鮮を持っている。島には千歩砂と百歩砂との二つのビーチがある。ビーチの近くに旅館と海鮮居酒屋が集まり、仏国の海辺にいる独特の感じがする。

由緒のある三大寺~普済寺(前寺)、法雨寺(後寺)、恵済寺の建物は明末清初の典型的な建物である。元代に建てられた多宝塔、明代万歴年間に彫刻された楊枝観音碑、清代初期に南京から移築された明代宮廷の九龍殿にある九龍藻井、その三点は観音道場の「鎮山三宝」という。

近年、新しく建てられた青石の浮き彫りの「五百羅漢塔」、33メートルの高さがある「南海観音」の露天銅像、紫銅で作られた正法講寺の「銅大殿」、また、最近修復された紫竹林禅院、西方庵、祥恵庵などの古刹が仏国に趣と魅力を与えた。

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